逢沢 寛(逢澤寛[1]、あいざわ かん、1888年明治21年〉5月15日 - 1982年昭和57年〉10月25日[2])は、昭和時代の日本政治家[3]衆議院議員(9期)。

経歴

岡山県農家に生まれる。

1899年臥竜高等小学校中退。1912年逢沢組を設立、1939年逢沢組を改組し中国土木(アイサワ工業の前身)を設立、同社社長に就任[2]。その間、1937年第20回衆議院議員総選挙旧岡山1区から立憲民政党公認で立候補するが落選。1942年翼賛選挙で非推薦候補として立候補し初当選。以後当選9回。通算25年代議士を務め、御津郡芳田村(現・岡山市村長運輸政務次官岡山商工会議所会頭、岡山県遺族会会長、日本遺族会副会長などを歴任[2]1956年、建設業に携わり経営に努め業界団体の要職について同業の発展に寄与したとして藍綬褒章受章[4]1964年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。

1982年10月25日死去、92歳。死没日をもって従三位に叙され、銀杯一組を賜った[1]

戦前は民政党に所属(ただし総選挙に初当選したのは政党解消によって民政党が解散した後である)、戦後は日本進歩党民主党自由党自由民主党に所属。

次男の逢沢英雄、孫の逢沢一郎はいずれも自由民主党衆議院議員。

脚注

  1. 1 2 『官報』第16730号4-5頁 昭和57年11月5日号
  2. 1 2 3 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』8頁。
  3. 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 1頁。
  4. 『官報』第8975号465-468頁 昭和31年11月24日号

参考文献

  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ、3頁)
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
議会
先代
早稲田柳右衛門
日本の旗 衆議院商工委員長
1962年 - 1963年
次代
二階堂進
先代
岡村利右衛門
日本の旗 衆議院運輸委員長
1952年 - 1953年
次代
関内正一
先代
菅又薫
日本の旗 衆議院決算委員長 次代
菅又薫