東京ドーム(とうきょうドーム)は、東京都文京区後楽にあるドーム球場プロ野球セントラル・リーグ(セ・リーグ)の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)が専用球場(本拠地)としている。

1988年(昭和63年)3月18日に開場した日本初の屋根付き球場で[3]株式会社東京ドームが運営する東京ドームシティの中核施設。野球のほかに、格闘技・プロレスの興行やコンサート、商品の展示会なども行われている。建築面積は46,755m2

概要

日本初の全天候型多目的スタジアムで[4]後楽園球場の実質的な代替球場として後楽園競輪場の跡地に開場[5]

1978年に保坂誠の後楽園スタヂアム社長就任後に屋根付きの新球場構想が持ち上がり1980年5月からプロジェクトチームによる研究を開始し空気膜式の屋根を用いて競技場敷地に建設する方針とした[6]。1980年10月に竹中工務店に新球場建設を打診し当初は鉄骨造も検討されたが建設費に400億円以上が概算され収益が見込めないことや保坂の「話題性も考えてほしい」との考えから空気膜構造を用いることとなり[7]、1981年8月にアメリカのガイガー・バーガー社(en)と空気膜屋根工法の技術提携を結んだ[7][8]。1982年8月には東京都江東区の竹中工務店技術研究所に25m四方のサイズで[7]、空気膜式屋根の実験棟を建設し研究を本格化させた[6]

1984年9月5日に「後楽園エアードーム」の仮称で建設計画を発表[9][10]。1986年の後楽園スタヂアム設立50周年事業の一環となる[11]、後楽園エリアの再開発計画に合わせて進められた[12]。全天候型のエアドーム型球場で野球をはじめサッカーなどの競技の他国際会議や見本市等多目的な利用を想定し[12]、グラウンド面積約13,000平米・収容人数56,000人・工期約34ヶ月・1988年春完成を目標とした[13]。しかし都市計画公園内での建築制限やエアドームが建築基準法の想定外となっていたことが建設に関しての懸念材料となっていたものの1984年10月に東京都の都市計画公園事業として認可[14][注 1]、1985年5月には建設大臣から認可を受けた[14]。同年5月16日に起工式を実施[6]、1987年6月28日には膜屋根の展開作業を完了[15]、7月22日に上棟式と披露パーティを実施[16]

1988年3月11日に定礎式[17]、3月17日にオープニングセレモニーが開かれ、3月18日にこけら落としイベントとしてプロ野球オープン戦「巨人 - 阪神」が行われた[4]。4月8日に初のプロ野球公式戦「巨人 - ヤクルト」(夜に「日本ハム - ロッテ」)が行われた。その日の関東地方は4月としては珍しく大雪で同じ関東地方の西武ライオンズ球場(当時はドームではなかった)での開幕戦は中止となったが、東京ドームの開幕戦は予定通り行われ、ドームの威力を早々と発揮した形になった[18]

愛称は「BIG EGG(ビッグエッグ)」で[3]、1986年の東京ドームの正式名決定とともに制定され「Big Entertainments & Golden Games」(大きな娯楽と輝かしい試合[19]、心に残る楽しいゲーム[20])の略や[19]、丸みのあるドームの形状から「未来の可能性に満ちた何が飛び出すかわからない巨大な卵」[20]、「卵型のドームから新しい歴史を生む」といった思いが込められた[19]1998年まで東京ドームグループの旧称として「BIG EGGグループ」という社名が使われていたが、2000年1月1日に周辺エリアの「ビッグエッグシティ」の愛称を「東京ドームシティ」に改めたことにより施設愛称としては廃止されたものの[4][注 2]、2025年には開業時のビッグエッグのロゴを用いた復刻グッズの展開も行われている[21]。また「BIG EGG」のロゴタイプはエアードームの形状や未来への可能性、人と人の繋がりを表す形でBIG・EGGの下部を繋げた形で放射状に配し、施設のメインカラーに冒険とスポーツ・未来感・限りない開放感・アクティブといったイメージを表すエメラルドグリーン、サブカラーに変化と華やかさを表すオレンジ、緊張感とバランスを与える黒を用いた[22]

空気膜構造屋根を持つアメリカのメトロドームをモデルとして設計され[23]、特徴的な屋根は総重量400トンに達し、1987年6月28日の午前中にインフレート(空気入れ)が行われ[24][注 3]、以後、今日まで一度もしぼんだことがない。2002年からロングパイル人工芝を日本の野球場で初めて採用した。天然芝に近い感触の特殊な繊維とクッション材を採用し、選手の負担を軽減している。ドームの広さは約216メートル四方で建築面積は46,755m2容積は約124万m3東京ドーム (単位)も参照)。

2015年度の実績では、撤去・設営も含めた稼働実績は87.4%[25]。そのうち野球が占める割合は4割程度で、その他はコンサートなどの各種イベントが占める[25]

屋内の屋根付き会場としては、日本最大の収容人員を誇る。ちなみに、日本2位は札幌ドーム、日本3位はナゴヤドームで、最大収容人員が5万人を超える日本の屋内会場は、この3つのみ。

開場から1ヶ月間の開催実績
  • 3月17日:東京ドーム落成式「オープニング・セレモニー」。22番ゲート前でテープカット、場内で神事、全米高校選抜ドリルチームによるダンス
  • 3月18日:プロ野球オープン戦「巨人対阪神」。始球式、竹内壽平NPBコミッショナー(当時)。試合に先立ち、江川卓サヨナラ登板式。投手江川卓(前年に引退)、打者掛布雅之[26]
  • 3月19日・20日:オープニングイベント「世界マーチングバンドページェント[27] '88 INTERNATIONAL MARCHING BAND PAGEANT・THE ALFEE」(12か国・907名出演)、ゲストTHE ALFEE(特設ステージでミニライブを開催)[28]
  • 3月21日:ボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチ「王者マイク・タイソン 対 挑戦者トニー・タッブス
  • 3月22日・23日:ミック・ジャガー「Japan Tour 1988」
  • 3月28日:HOUND DOG「BLOODS LIVE CONCERT TOUR 1986-88」
  • 3月29日-4月3日:サッポロビールプロ野球トーナメント(東京ドーム完成記念、セ・パ全12球団による初のトーナメント)[29]
  • 4月4日・5日:BOØWY「LAST GIGS」
  • 4月8日-10日:プロ野球公式戦。昼「巨人 - ヤクルト」、夜「日本ハム - ロッテ」
  • 4月11日:美空ひばり「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」

施設概要

球場データ

  • 所在地 - 東京都文京区後楽一丁目
  • 建築面積 - 46,755m2
  • 建物高さ - 56.19m
  • 階数 - 地上6階・地下2階
  • 容積 - 1,240,000m3
  • 収容人数(詳細は後述) - 野球時約43,500人、コンサート時55,000人
  • フィールド - 両翼100m、中堅122m、左右中間110m
  • グラウンド面積 - 13,000m2
  • スコアボード - 2基(メイン・サブ)
    • メインスコアボード - 全面フルカラーLED三菱電機製・オーロラビジョン、7.0m x 34.0m)
  • 内外野 - ロングパイル人工芝「フィールドターフ」
  • 外野フェンスの高さ - 4.24m(ラバー 4.0m + ネット 0.24m)
    • 2009年(平成21年)まではラバーのみの4.0m
  • グラウンド面からの屋根の高さ - 61.69m

落成・供用開始日

  • 落成式:1988年(昭和63年)3月17日[1]
  • 公式戦開始日:同年4月8日

フィールド

人工芝「フィールドターフHD」(2015年5月)

フィールドは人工芝を採用。開業後は巻き取り式のショートパイル人工芝を使用していたが、2002年(平成14年)から試合会場としては日本で初めて、天然芝に近い性質を持つといわれるロングパイル人工芝「フィールドターフ」を導入した[30]。導入の背景としては、膝痛に苦しみながら中堅手として出場を続けていた当時の巨人の主力選手松井秀喜への配慮があったとされる。このフィールドターフは2007年(平成19年)3月、2014年(平成26年)3月[31]、2019年(平成31年)3月と[32]、2026年(令和8年)3月の4回張り替えが行われている。

外野フェンス

外野フェンスは2010年(平成22年)から従来のラバーフェンス(高さ4.0m)にネットフェンス(高さ0.24m)を付け加えたものとなっている。ネットフェンスを付け加えた主目的はホームランを判定しやすくするため[33]。2018年(平成30年)からは、外野フェンスのクッション部分がそれまでのものよりも柔らかくなった。

ラバーフェンスのスタンド側上部には手すりがあり、開業当初はそれに打球が当たった場合はインプレーであった。しかし、1990年6月9日に落合博満がバックスクリーン手前の手すりに直撃してグラウンドに跳ね返ってくる打球を放った際、福井宏二塁塁審はフェンスを超えていたとして本塁打と判定した[34]。これを機に、同審判が手すりの紛らわしい部分の撤去を要望するなど、判定の難しさが指摘されていた[35]。その結果、藤田元司巨人監督と近藤貞雄日本ハム監督及び審判との協議によって、1991年から手すりに当たった場合は本塁打というルールに変更された(ほか、フェンス上端部を黄色に着色することも決定された)[36]

外野からは十分な高さがあるフェンスは、客席の最前列からは低く、落下の危険性や観客がホームランにならないような打球に触れることも容易であるという欠点もある。2014年(平成26年)4月19日の対中日戦で坂本勇人大野雄大から放った左中間への大飛球は、当初は本塁打と判定されたものの、のちビデオ判定の結果、最前列にいた観客が手すりを超えてインフィールド側まで手を出して直接捕球したことが確認されたため二塁打に変更された[37]。一方、2023年(令和5年)8月13日の対横浜DeNAベイスターズ戦で坂本勇人が上茶谷大河から放った左中間への大飛球は、2014年の事例と同様に最前列にいたファンが手すりを超えて捕球を試みたが(捕り損ねてボールはフィールドに落下した)、この時は二塁打と判定され、のちのビデオ判定による検証でも覆ることはなかった[38]。ただ、ビデオ判定直後の審判による説明では、観客の妨害により本塁打が二塁打に変更されたとも解釈できる説明がなされたこともあり、試合翌日の14日にNPBはこの件で詫びを入れるとともにファンに対し異例の「お願い」を出した[39]

ホームランが出やすい理由

ホームランの出やすさの理由として、第一に、左中間・右中間の膨らみが小さく110mしかない(両翼からセンターの最深部までほぼ直線の構造である)ことが挙げられる。これは現在の12球団の本拠地球場の中で最も狭い(なお、福岡ドームホームランテラスを設置後は同じ規格となっている)。第二に、屋内球場のため風の影響を受けない上に構造上湿度が低くなっているため打球が伸びやすいことが挙げられる。なお、エアドームの気圧の影響で打球が伸びると言われることもあるが、理論上高い気圧では打球は伸びなくなる以上、これは誤りである[40]

もっとも、東京ドームは野球規則1.04に記載されている国際基準を満たすNPB初の本拠地球場であり、完成当時としては広い球場だった。実際に後楽園球場でなされた1987年(昭和62年)の公式戦は112試合で234本の本塁打(1試合平均2.09本)が出たが、東京ドームの1988年(昭和63年)の公式戦112試合は147本(1試合平均1.31本)が出たにとどまり、約4割減少している。さらに、コンピュータ分析では、王貞治の868本塁打のうち、東京ドームなら322本減るという結果も出ていた[41]

他球場と比較しても、東京ドームの1試合当たりの平均本塁打数は、各球団の本拠地(巨人と日本ハムが本拠地としていたため、全12球団で全11球場)中、1988年10位、1989年10位、1990年11位であり[42]、数字の上でも本塁打の極めて出にくい球場であった。しかし、その後は、1991年7位[42]、1992年6位[43]、1993年6位[44]、1994年6位[45]、1995年7位[46]、1996年6位[47]、1997年3位[48]、1998年1位[49]、1999年2位[50]、2000年1位と[51]、他球団が広い球場に本拠地を移転したり球場を拡張したりする中で、東京ドームは相対的に本塁打の出やすい球場となっていった。

それに加えて、ボールの影響がいわれており、それまでのタマザワ製ボールだったのを1992年からミズノ製に変えたために、本塁打が増加したとされる[52]。それを裏付けるように、開業した1988年の1試合当たりの本塁打数は1.31本(112試合で147本)だったのに対して2004年は3.43本(76試合で261本)と2.6倍以上に増加し、統一球導入前後で、2010年は2.88本(73試合で210本)・2011年は1.42本(69試合で98本)と半数以下に激減している。

この最中、1998年(平成10年)には東京ドームで本塁打が急増したため、読売新聞で分析がなされ、左・右中間の膨らみが無いこととともに、スタンドにしか冷房が当たらない構造から「冷房によって外野席の気温が下がれば『風』がグラウンドから吹きつけることは考えられる」という仮説を挙げている[40]

屋根・天井

構造

天井
センタースピーカー(2016年の改修工事により現在は撤去済)
中央部のテレビカメラ(2019年4月2日撮影)

屋根は空気膜構造と呼ばれるもので、内部の空気圧を外部よりも0.3%(3ヘクトパスカル)高くして膨らませている。インフレートと呼ばれ、完成時に屋根を膨らます作業が行われた(この作業はメディア等でも取り上げられている)。圧力差を維持するために送風ファンを合計36台設置しており、ドア開閉がある場合は10台から18台、ドア閉鎖時は2台を動作させて気圧を維持する。出入り口は手動式回転ドアエアロックが設置されており、全面的なドア開放は与圧が抜けて屋根が潰れる原因になるので出来ない。多数の観客が退場する際は通常のドアも開放されるが、気圧のため外向きに強い風が起こり注意を要する。この風は回転ドアのわずかな空間でも発生している。隣接する小石川後楽園の日照に配慮するため、屋根の高さが外野方面に向かって低くなっていくように設計されている。

屋根は28本のワイヤを8.5メートル間隔で縦横に並べ、その間に二重構造の膜を張ったものとなっている。膜はガラスクロス(織物)の表面をフッ素樹脂でコーティングしたもので、耐候性・耐熱性・非粘着性に優れた不燃材料である。内膜は音を吸収する特性もある。耐用年数は20年以上。総重量は400トン。太陽光の約5%を透過する。施工は太陽工業。ワイヤからテレビカメラ(中央部)、スピーカー(中央部1個、膜屋根周辺21個)、照明(14ヶ所)が吊るされている[53]

  • 外膜は厚さ0.8ミリメートル。アメリカのケミカル・ファブリックス社製品。
  • 内膜は厚さ0.35ミリメートル。中興化成工業社製品。

中央部のテレビカメラ(通称『トップアイ』)からの映像は、野球中継だけでなくNHK民放各局の夜のスポーツ速報番組などに使われていた。最近の巨人戦などの野球中継ではあまり頻繁に使用されないが、投手の投球練習を上から撮影する際などに使用されている[注 4]。巨人の優勝決定時に行われる胴上げの際は『トップアイ』からの映像が必ず使用される。

天井の高さ61.69mは1964年の後楽園球場開幕試合に巨人の王貞治が国鉄・金田正一から放った超特大の場外ホームラン(推定飛距離151m)から導き出された数字で[54]、それ以上の打球が来ても屋根に当たらないように高さが設定された。完成直前の東京ドームをテレビの収録で訪れた長嶋茂雄は「この天井にボールをぶつけることは無理でしょう」と述べていたが、実際は打球が天井や懸垂物に当たった例は多数ある(東京ドームの特別ルールの適用例を参照)。

東京ドーム特別規約(特別ルール)

東京ドームは打球が天井や懸垂物に当たった場合などに備えて特別ルールの「東京ドーム特別規約」が設けられている[55][56]

東京ドーム特別規約(2016年現在)の内容は以下の通り。

  • 打球がフェア地域の天井や懸垂物に当たった場合(上記1関連)
    • 打球がフェア地域の天井や懸垂物に当たった場合はボールインプレイで、落下地点または野手が触れた地点でフェアボールかファウルボールか判定する[55]
      • 1988年(昭和63年)7月4日 - 日本ハム阪急戦で、ダラス・ウィリアムズ(阪急)の打球が天井に当たったが2階内野席に落ちたためファウル(特別ルール適用第1号)[55]
      • 1990年(平成2年)6月5日 - ラルフ・ブライアント近鉄)の打球が天井に当たったが二塁手が捕球してアウト(天井に当たった打球がフェアになった第1号)。東京ドーム初の認定本塁打はこの翌日に出ている(後述)。
      • 2005年(平成17年)7月30日 - 巨人対中日戦で、通算350号本塁打まで残り1本に迫っていた江藤智(巨人)が本塁打性の特大飛球を放ったが、打球は屋根に当たりグラウンドに落下。中日の左翼手・英智に捕球され、350号は幻となった(通算350号は西武へ移籍した翌年4月15日に達成)。
      • 2007年(平成19年)7月20日 - オールスターゲーム第1戦で、オールパシフィックの山﨑武司楽天)が天井に当てている(結果はサードのファウルフライ)。
      • 2010年(平成22年)7月3日 - 巨人対阪神戦で、クレイグ・ブラゼル(阪神)の打球が天井に2度当たりグラウンドに落下することなくそのまま右中間席中段へ入りホームランとなった[59]
    • 打球が外野のフェア地域に設けられた懸垂物に当たった場合はホームランとなる[55](認定ホームラン、過去3例)。
      • 1990年(平成2年)6月6日(1例目)- 日本ハム対近鉄戦で、ラルフ・ブライアント(近鉄)が角盈男(日本ハム)から記録。打った打球をセンター守備位置上にあるメインスピーカーに直撃させた(推定飛距離160メートル)。これをきっかけに、東京ドームはメインスピーカーに当てた認定ホームランを記録した選手に対してスピーカーの提供メーカーより賞金150万円を贈呈することにした[注 6]
      • 2008年(平成20年)6月7日(2例目)- 巨人対ロッテ戦で、フリオ・ズレータ(ロッテ)がエイドリアン・バーンサイド(巨人)から記録。打った打球をレフト守備位置上にある照明機器に直撃させた(推定飛距離150メートル)。
      • 2014年(平成26年)4月9日(3例目)- 巨人対広島戦で、村田修一(巨人)が今村猛(広島)から記録。打った打球をレフト守備位置上にある照明機器に直撃させた(推定飛距離150メートル)[60]
  • 打球がフェア地域内にある天井の穴や隙間に入り込んだ場合あるいは懸垂物に挟まった場合(上記2関連)
    • 打球がフェア地域内にある天井の穴や隙間に入り込んだ場合あるいは懸垂物に挟まった場合はボールデッドとなり、フェア地域内なら打者走者ともに2個の安全進塁権が与えられ(エンタイトルツーベース)、ファウル地域ならファウルボールとなる[55]
      • 2002年(平成14年)7月18日 - 巨人対横浜戦で、巨人の松井秀喜が横浜の森中聖雄から記録。ボールは挟まっておらず二重構造の膜の間を通ってライトスタンドの巨大看板上の照明付近まで転がっていた。この「幻のドーム場外」ボールは2日後に取り出され、現在、当ドーム内にある野球殿堂博物館に松井本人のサイン入りで保存されている。
      • 2016年(平成28年)11月13日 - ワールド・ベースボール・クラシック日本代表対オランダ代表戦の強化試合で、日本の大谷翔平がオランダのフロラヌスから記録。打球はライト方向の天井の隙間に入った。ボールは二重構造の膜の間を通って一塁側2階席上段の縁まで転がっていた。このボールは翌日回収され、サイン入りで11月29日から野球殿堂博物館で展示されている[61]
      • 2024年(令和6年)4月13日 - 巨人対広島戦で、巨人の岡本和真が広島の森下暢仁から記録。ボールが中央部のテレビカメラのゴンドラに乗っかり落下しなかったためエンタイトルツーベースが認められ、2塁走者の門脇誠がホームに生還し得点した[62]。ボールはフィールド内に入れたクレーン車を使って4月23日に回収され、後日岡本本人のサインを入れて野球殿堂博物館で展示予定[63]
      • 2025年(令和7年)10月1日 - 巨人対中日戦で、中日のジェイソン・ボスラーが巨人のアルベルト・バルドナードから記録。打ったボールが右中間の天井にある丸い隙間に入った。[64]