岳 開先(がく かいせん、1883年〈光緒9年〉 - 没年不明)は、清末民初の軍人・官僚。別号は闢疆[1]辟疆[2]南宋の英雄岳飛から26世の子孫[1]岳鍾琪(岳飛の子孫とされる清の四川提督)の7世の孫)[注 2]と称される[注 3]。駐日本国公使館武員などで対日外交に携わり、後に中華民国臨時政府や南京国民政府(汪兆銘政権華北政務委員会で要職をつとめた。

事績

初期の活動

1901年光緒27年)に日本へ留学し、陸軍士官学校第16期(留学生第3期)を卒業した[1][2][3]。清朝最末期の1911年宣統3年)8月7日、福建軍事参議官に任命されている[4]

1912年民国元年)11月26日、北京政府から陸軍少将位を授与される。1915年(民国4年)10月27日、駐日本国公使館武員に任命され、長く日本に駐在することになった。1923年(民国12年)10月9日、陸軍中将に昇進した[5]

国民政府では、1933年(民国22年)から1936年(民国25年)2月まで外交部察哈爾省特派員の地位にあった(当時の察哈爾省政府主席は宋哲元など)[1][3][2]熱河省豊寧県をめぐる日中軍事紛争においては、岳が交渉窓口を担当している[6]

親日政権での活動

王克敏中華民国臨時政府を創設すると、岳開先もこれに直ちに参加した。1938年(民国27年)1月1日、行政部参事に任命され[7]、同年10月22日には行政委員会参事となる[8]。翌1939年(民国28年)1月31日、行政委員会外務局局長に任命された[3][9]。臨時政府最末期の1940年(民国29年)3月9日には、実業部次長署理を兼務している[10][注 4]

1940年(民国29年)3月30日、南京国民政府(汪兆銘政権)に臨時政府が合流し華北政務委員会に改組され、実業部も実業総署に改組された。同年5月4日、岳開先は実業総署署長代理(実業総署督弁は王蔭泰[注 5]に派出される[3][11][注 6]。また、1941年(民国30年)8月には、同委員会の華北河渠委員会委員も兼任している[2][12]1943年(民国32年)2月、国民政府中央から実業総署署長として正式に任命された[13]。しかし、同年11月の華北政務委員会機構改革により実業総署が廃止され、岳は他の官職に移らず退任したと見られる[14][注 7]

1943年11月以降の岳開先の行方は不詳である。なお、岳が漢奸として摘発されたとの情報は見当たらない[注 8]

脚注

注釈

  1. 外務省情報部編(1928)、465頁は「年齢46歳」としている。同書は昭和3年(1928年)現在の年齢(数え年と見られる)を記載しており、これに従い本記事では1883年生まれとする。ただし、東亜問題調査会編(1941)、38頁は、「年はすでに六十を越える」(具体的な生年の明記は無い)と記述している。1883年生まれならば1941年当時で数え年59ということになり、計算が合わない。
  2. 東亜問題調査会編(1941)、38頁。当該頁は「勇将岳鍾崎将軍」と誤記している。
  3. ちなみに当時の要人としては、岳維峻も岳飛の子孫とされていた。ただし、岳維峻の出身地は陝西省蒲城県である。
  4. 前任の次長・陸夢熊が1月2日に死去したことによる。
  5. 華北政務委員会の総署では、督弁と署長とで正副の関係となる。臨時政府の部における総長と次長にあたる。
  6. 公報上の任命は5月4日だが、華北政務委員会が成立した3月30日に事実上の重任となっていた可能性が高い。
  7. 『華北政務委員会公報』においては、岳開先の退任に関する明記は見当たらない。
  8. ネット上では、「岳開先は日本に亡命して日本国籍を取得、日本に定住した」との情報もあるが、根拠史料は不明。

出典

  1. 1 2 3 4 5 6 外務省情報部編(1928)、465頁。
  2. 1 2 3 4 5 劉国銘主編(2005)、1584頁。
  3. 1 2 3 4 東亜問題調査会編(1941)、38頁。
  4. 「任免録-(七、八月中)」『燕塵』第4年第9号通号45号、明治44年9月30日、燕塵会(北京)、412頁。
  5. 中華民国政府官職資料庫「姓名:岳開先」
  6. 『国際知識』15巻3号、昭和10年3月号、日本国際協会、120-121頁。
  7. 臨時政府令、民国27年1月1日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第1号、民国27年1月17日、15頁)。
  8. 臨時政府令、令字第286号、民国27年10月22日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第40号、民国27年10月24日、2頁)。
  9. 臨時政府令、令字第327号、民国28年1月31日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第57号、民国28年2月6日、1頁)。
  10. 臨時政府令、令字第537号、民国29年3月9日(『政府公報』〈臨時政府1937年-1940年〉第137号、民国29年3月16日、1頁)。
  11. 華北政務委員会任用令、任字第40号、民国29年5月4日(『華北政務委員会公報』第1-6期合刊、民国29年6月9日、本会13頁)。
  12. 華北政務委員会令、会字第341号、民国30年8月13日(『華北政務委員会公報』第91・92期合刊、民国30年9月19日、本会4-5頁)。
  13. 国民政府令、民国32年2月21日(『華北政務委員会公報』第191・192期合刊、民国32年2月28日、国府2頁)。
  14. 劉寿林ほか編(1995)、1058頁。

参考文献