マッコウクジラ(抹香鯨、学名:Physeter macrocephalus)は、偶蹄目マッコウクジラ科マッコウクジラ属に分類されるクジラである。現生種では本種のみでマッコウクジラ科マッコウクジラ属を構成する[4]。現生のハクジラ類における最大種である。
分類
呼称
学名
属名の「Physeter」は「鯨の潮吹き」を意味する古代ギリシア語の「φυσητηρ」[注釈 2]に由来する。
とりわけマッコウクジラは前方に吹き出す潮がよく目立つためか、後にその属名に冠されることとなった。英語では「ファイシター」のごとく発音する[注釈 3]。日本語では慣用的に「フィセテル」や「フィセター」などと呼ぶことが多い。
種小名の「macrocephalus」は古代ギリシア語の「μάκρος」[注釈 4]と「κεφαλή」[注釈 5]の合成語である。
和名と香料

和名の「マッコウクジラ」の漢字表記は「抹香鯨」である。古代からアラビアの商人が取り扱い、洋の東西を問わず珍重されてきた品に、香料であり医薬でも媚薬でもある龍涎香というものがあったが、それは海岸に打ち寄せられたり海に漂っているものを偶然見つけ出す以外、手に入れる方法が無かった。
しかし、この香料の正体はマッコウクジラの腸内でごくまれに形成されることがあり、自然に排泄されることもあった結石であり[8]、捕鯨が盛んに行われる時代に入ると狩ったマッコウクジラから直接採り出すことが可能になった。マルコ・ポーロの『東方見聞録』には、マダガスカル島沖でマッコウクジラが捕獲され龍涎香が採れたことが記されている。マッコウクジラの「龍涎香」が、抹香に似た香りを持っていることから、近代日本の博物学では中国語名「抹香鯨」に倣って「抹香のような龍涎香を体内に持つ鯨」との意味合いで呼ばれ、そのまま和名として定着した。
英語名と油脂
英語名の「sperm whale」の原義は、「精液(のような液体である鯨蝋が採れる)鯨」である。語源的には、頭部から採取される白濁色の脳油の別名である「鯨蝋(げいろう)」に由来している。脳油は精液に似ているため、精液と誤解されていたことがあり、英語では spermaceti (原義:「鯨-精液」)と呼ばれている[8]。
別名にフランス語を由来とする「Cachalot(キャシャロット)」があり、これはアメリカ海軍の艦名にもなっている(別項「潜水艦カシャロット」を参照)。
その他
生息状況

捕鯨によって世界的に個体数が激減したが、現代の大型鯨類では比較的に個体数が豊富な一種である[8]。
現在の推定個体数は世界全体で36万頭である[11]。ただし、北米大陸の西海岸沖やイギリス周辺、オーストラリア南西部やニュージーランド周辺(ケルマデク諸島やフィヨルドランド沿岸など)、日本列島の沿岸の各地など、捕鯨の影響から回復が遅れているために個体数の少ない海域も点在する。現在の日本列島の沿岸部での生息状況は捕鯨時代から十分に回復しているとは言えず、個体数が著しく低下しただけでなく、例えば北海道から常磐沖で越冬していた個体群など、激減した個体群や海域も存在する[12]。
世界規模で多く生息している個体群には不明確なものもあり、以前は分布は稀だと思われていた海域にも、実際は予想以上に生息することが判明する場合もある。
日本海には基本的には分布しないとされる場合が目立つが、実際には捕鯨も行われていたことから日本海にも生息していたことは確実である[13]。近年でも韓国や日本の沿岸や近海で少数が確認されており[14]、2024年に発表された調査結果では、朝鮮半島の近海に本種が増加(復活)しつつあることが判明している[15]。
ハイドロフォン(英語版)によるニュートリノ検出を目的とした海洋ノイズ検出実験において、カターニア東方にある深度2,000メートルのテスト海域でクリック音(コーダ)[16]が観測され、目撃情報や海面近くの音響記録に基づいた分析調査によっても生息が確認された[17]。
分布

北極圏から南極圏まで世界規模で分布しており、深海のある海域に最も多くが生息している。社会的単位は安定しており、雌と子は部分的に母系の集団で暮らす。雄は高緯度の寒流域にも進出するが[16]、メスと子供の群れが暖流域の外に出ることは滅多になく、基本的には大規模な回遊を行わずに熱帯や亜熱帯を中心に定住する[8]。
本種は基本的には深海性だが、たとえばアジア圏では千島列島やコマンドルスキー諸島、知床半島や金華山沖、東京湾や房総半島周辺[18][19][20][21]、伊豆半島の周辺から伊豆諸島・小笠原諸島・火山列島[22]、種子島・屋久島・奄美諸島[14][23][24]から南西諸島[25][26]、台湾、マリアナ諸島[27]など、沿岸近くに見られる海域も数多く存在する。これらの海域では積極的な観察の対象になることも多い。特に成熟雄などは満足な遊泳ができないほどの浅い湾などに入り込み、しばらく休息してから外洋に出ていくこともある。スコットランド沖やフィリピン沿岸など、沿岸性の特殊な個体群なども存在する[28]。
日本列島では、北海道の釧路市沖、宮城県の金華山沖、房総半島(犬吠埼沖など)[18][20]や東京湾[29]、相模湾や駿河湾[14][19][21]、伊豆諸島・小笠原諸島・火山列島[22]、遠州灘、熊野灘[30][31]、室戸岬や土佐湾沖[32]、玄界灘や対馬や壱岐[14]、五島列島や男女群島沖、鹿児島県の笠沙町沖や種子島や屋久島や奄美大島沖[14][23][24]、南西諸島[25]などを回遊することがある。また、小笠原諸島や奄美諸島[23][24]の近海に雌と子供の群れが定住し、知床半島近海には陸地の間近に雄が見られる。この海域では成熟に近い雄が群れを成し、ツチクジラ、クロツチクジラ等の深海性の種類が陸上からの観察が可能なほど陸に接近するという点で特有である[33]。これらの他にもカイコウラ沖やイオニア海(地中海)などにも完全な、あるいは季節的な定住群が存在する。
地中海では、観測されたクリック音(コーダ)[16]のパターンが二種類あることから、地中海海盆の外から一時的に入ってくる通りすがりのクジラの存在が示唆されたが、地中海のマッコウクジラが1つの閉鎖個体群なのか、それとも外海の個体群とのやりとりがあるのかは判明しておらず、生態には未知な部分が残されている[17]。
形態
大きさ


現生のハクジラ類の中で最も大きく、現生鯨類全体でもナガスクジラ科とセミクジラ科に次ぐ大きさを持つ。また、歯のある動物では世界最大であり、巨大な頭部とその形状が特徴的である[35]。
本種は全てのクジラ類の中で最も大きな性差をもつ。標準的なオスの体長は約16 - 18メートルであり(長さの比較資料:1 E1 m)、メスの約12.5メートルと比べて30 - 50%も大きい。推定平均体重はオスの45 - 57トンに対し[36]、メスは17 - 24トン程度と、倍近い差異がある。なお、誕生時は雌雄いずれも体長約4メートル、体重1トン程度である[11][37]。
体長が20.7メートル以上の個体の捕獲例も8件報告されている[34]。1933年に南太平洋で捕獲された24メートルの個体を最大記録とみなす意見も存在し[34]、『白鯨』のモデルとなったエセックス号(英語版)を沈没させた個体(モカ・ディックとは別)は26メートルに達したともされているが、これらの記録は捕獲した個体の体表に沿って計測されたと思われるため、確認されている最大の個体は、千島列島で捕獲された体長20.7メートル、推定体重80トンのオスである[34][38][39]。なお、17.6メートルというメスの捕獲記録もあるが、これは性別が誤って報告されたり、測定方法に問題があったために数値が拡大した可能性が示唆されている[40]。
外見


大型化した頭部はオスで体長の3分の1に達する。計測された事例としては、全長19メートルの個体は頭部の長さが6.1メートルであったと記録されている[41]。下顎の吻先は丸みを帯びており、下顎の長さは最大1.5メートル程度になる[42][43][44]。
噴気孔(呼吸孔、鼻孔)の位置は頭部正面に集中しており、遊泳方向に向かって左側にずれている。そのため、潮吹きは前方に向かった特徴的なものとなる。背鰭(せびれ)は背骨に沿って前から3分の2の場所に位置し、通常は短い二等辺三角形の形状をしている。尾びれは三角形で非常に分厚く、横幅は約5メートルに達する[8]。
背中の色は一様に灰色だが、日光の下では褐色に見えることもある。背中の皮膚は通常凸凹しており、他の多くの大型鯨類とは対照的である。大型の老熟した個体、とくにオスの頭部や胴体部の体表には多くの白変した傷が見受けられ、これは繁殖期にメスを巡った競争の末についた歯形の可能性があるが、これを否定する報告も存在する[11][42]。
また、温暖な海域ではダルマザメによる傷跡が増えたり、成熟した個体の特に頭部には、ダイオウイカなどの抵抗によって付けられたリング状の傷が多く見られる。南極付近では、ダイオウホウズキイカによって付けられたと思われる鉤爪が刺さったままの個体も確認されている。
臓器
脳は全ての動物の中でも最大・最重量である可能性があり[8]、成体のオスでは平均で7キログラム、最大で9.2キログラムに達する[45]。しかし、このサイズながらも身体の大きさに比較すると決して大きな比率ではない[46]。
臓器については、心臓が重さ116キログラムになる[47]。腸は動物界で最も長く、長さは304メートル以上になる[48]。
不完全な状態で記録された陰茎が長さ1.56 - 1.7メートルで重量が70キログラムになり[49][50]、完全な陰茎はシロナガスクジラをも超える長さ約5メートル、重さ約400キログラムに達したと推定される[51][52]。
- 全身骨格図。
- 下顎の骨格(神戸市立須磨海浜水族園)。
- マッコウクジラの陰茎。
生態

遊泳速度は時速25 km/h、最大で秒速7メートル(または時速37 km/h)になる[8][53]。
ジャンプであるブリーチング(英語版)、海上の様子を観察するために行うスパイホッピング、尾びれを水面に叩きつけるテイルスラッピングなどの海面での活発な行動を見せることもあるが、これらの行動を行う頻度は一部のヒゲクジラ類と比較しても決して高くない。
また、オス同士の競合というよりもむしろ遊びの一環として互いに頭突きをすることも判明している[54]。
歯と食性

下顎(したあご)に20 - 26対の円錐形の歯を有する。それぞれの歯は約1キログラム程度である。ほぼ下顎のみに生えており、上顎の中にも未発達の歯が存在するが、口腔内まで出てくることはまれである。
マイルカ科のハナゴンドウとの形態的・生態的な類似性が指摘されている。丸呑みが可能なイカ類を食べるために歯は不要と考えられており、歯を持たないにも関わらず健康な個体も観察されている。
歯を備えている理由は厳密には解明されておらず、成熟雄の頭部に残る歯形、円錐形で広い間隔を空けて配置されている歯などの点から雄同士の闘争に使われる可能性が指摘されているが、この仮説には否定的な見解も存在する[11][42]。
雌の場合、子供を海面に残して深海へ食事に向かった母親が、捕らえたダイオウイカの肉片を子供のための餌として咥えたまま持ち帰る姿が確認されている。このため、獲物の肉を噛み切って深海から海面へ運ぶ際の滑り止めとして歯が機能している可能性がある。
食餌

ヤリイカやダイオウイカなど主な食性はイカ類であり、スケソウダラやメヌケ、フリソデウオ科やツノザメ科のような大型の深海魚類も餌となる。
試算では、マッコウクジラの摂餌量は年間で9千万トン - 2億2千8百万トンと推計される[55]。この95%がイカとすれば、およそ8千万トン - 2億トンのイカがマッコウクジラに食べられ、それは世界中の年間漁獲量の30 - 66倍になるという[55]。もっとも、マッコウクジラが食するイカは、主に中深層に生息するクラゲイカといった大型イカ[注釈 7]と考えられ、それらのイカは人間の食用種ではない[55]。
また、日本政府が捕鯨問題において捕鯨を正当化するために用いた「鯨食害論」は国内外の識者からの批判を受けており、2009年6月の国際捕鯨委員会の年次会合にて、日本政府代表代理だった森下丈二水産庁参事官が鯨類による漁業被害(害獣論)を撤回している[56]。
他にも、優先度は低いもののウバザメ、オンデンザメ、メガマウス、アオザメ、エイ、マグロなどの大型魚類やウナギやサーモンなどの多様な魚類を捕食していると考えられる記録もある[57][58]。
子育てと社会形成


本種は家族の絆とくにメスと子供の結束が非常に強く、花形の円陣(マーガレット・フォーメーション)を組んで弱った仲間を天敵(シャチやサメ)などの攻撃から守る行動も見られる[59]。群れごとに「方言」にも例えられるクリック音(コーダ)を持つなど、集団ごとに独自の文化的な特性を築いたり、趣向が似た個体同士でグループを形成している可能性がある[16]。
子は生まれてすぐには深海に潜ることができない。母親は子が深海へ潜ることができるようにするため、しばしば訓練をするが、子がなかなか潜ろうとしない場合は母乳を飲ませながら潜る。最近の研究では頻繁に深海と海面を行き来することが分かっている。
成熟した雄は、通常は独り立ちし、雌や子供が進出しない極海に至るまで広範囲を回遊する[8][16]。若い雄同士で独自のグループを形成する。また、雌や子供の群れがシャチや捕鯨船などに襲われた際に救出にくることもある[60]。群れを守るために捕鯨船(大型帆船)を雄が攻撃して沈没させた例も存在する。
異性間のグループの関連性は一時的であり、繁殖期のオス同士の関係性(とくに競争の程度)はオスの攻撃性ではなくメス側の選択肢に左右されることが示唆されている。実際に、(観察が難しいことも相まって)繁殖期以外ではオス同士の闘争が記録されることは稀であり、たとえばガラパゴス諸島の周辺では11年間の調査で1件のみ、ドミニカ共和国の沿岸部では20年間の調査で1例も確認されていない。オスに見られる同性間の闘争の傷跡(歯形)に関しても、直接的な闘争の痕跡ではない可能性もある[11][42]。
異種間交流
ザトウクジラやナガスクジラ、ミンククジラ、シャチなどと行動を共にする場合がある。日本では、根室海峡[61]や伊豆諸島等でこれらの交流が観察された。
2011年には、アゾレス諸島にて、奇形ゆえに群れから脱落したと思われるハンドウイルカにマッコウクジラの群れが寄り添っていた観察例が報告されている[62]。
また、捕鯨時代には人間への警戒心を強めて距離を取ろうとする事例が増えたが、商業捕鯨の終了に伴い、ホエールウォッチングを中心とした非殺生的な人類との遭遇や交流が増加している[63][10]。
- 人間との交流(アゾレス諸島)。
- 人間との遊泳。
潜水と深海への適応


ダイオウイカなどの餌を目的とした深海への潜行に高度に進化適応を遂げた種であり、反響定位能力(エコーロケーション)や脳油などの様々な特性を用いて長時間の潜水や暗闇での行動、海面と深海の行き来などを可能とする。この進化が厳密にどのような経緯を辿って引き起こされたのかは不明だが、他のハクジラ類や大型のサメ類との浅海域での生存競争に直面した結果である可能性がある[64]。
生涯の約3分の2を深海で過ごす。90分以上、深さ2,000メートルは潜ることができ、集団で狩りをすると考えられている。光の届かない深海においてはイルカ等に代表される反響定位(エコーロケーション)を用いている。家族同士での会話にも音を利用していると考えられている[8]。
潜水時間は哺乳類最長のアカボウクジラにこそ劣るが、本種の潜水能力はクジラの中でも特筆すべきである[65]。ヒゲクジラ類(潜水深度 200 - 300メートル程度)に対して、深さ1,000 - 3,000メートルの海域にも達する。全身の筋肉に大量のミオグロビンを保有しており、大量の酸素を蓄えることが可能である。このため、1時間もの間呼吸せず潜水することが可能であり、肺の中の酸素を空にすることで深海での水圧の影響を受けない。
通常では、約1,000メートル近くの深海に潜ってから息継ぎをするために水面に上がり始めるまでの20分ほどの間、深海にて捕食などの活動を行っていることが分かっている。潜水の直前には尾は水面から非常に高く引き上げられる(フルークアップ)。
また、3,000メートル潜ったとする記録もあり(長さの比較資料:1 E3 m)、深海層での原子力潜水艦との衝突事故や、海底ケーブルに引っかかって溺死したと見られる死骸の発見などの実例が、この記録を裏付けている。しかし、2,000メートル以上の深さまで潜ると捕食するイカなどの数も少なくなるため、それ以上はあまり積極的に潜ろうとするとは考えにくいとも言われている。
脳油(鯨蝋)

脳油は反響定位(エコーロケーション)の際に音波を集中するレンズの機能を持つメロンと呼ばれる頭部器官を満たすワックスエステルである[8]。なお、一部で脳漿油と呼ぶ向きもあるが、脳漿は脳の髄液を指す為、全く無関係である。反響定位による音波は他のハクジラ類と同様に、遊泳時の障害物の探知や獲物の捜索などに使われる。また、未確認ではあるがマッコウクジラは獲物に対して高い指向性を持った強力な音波を放つことで失神あるいは麻痺に陥らせ、捕らえる事が可能であるという説もある。
脳油は他のハクジラ類のメロンと異なり、通常時の体温下では液状であるが、約25℃で凝固することが知られている。このため、潜水の際には鼻から海水を吸い込んで脳油を冷やすことで固化させて比重を高め、浮上の際には海水を吐き出し血液を流し温めることで液化させて比重を小さくすることで、急速な潜水および浮上を可能にしているという説も存在する[8]。潜水・浮上はほぼ垂直に、かつ、急速に行われることが確認されているが、減圧症(潜水病)に陥らないことも確認されている。しかし、上記のアカボウクジラは潜水病になって集団座礁を起こす危険性に直面しており[66]、2023年に大阪湾で死亡した「淀ちゃん」も船舶のソナーに反応して潜水病を発症していた可能性がある[67]。
なお、脳油がオス同士の闘争に武器として機能するという説があるが多くの場合は疑念視されている[42]。
繁殖と寿命
本種は低い出生率と遅い成熟と長命を獲得している。メスは6歳から13歳で成熟し、メスの妊娠期間は少なくとも12か月、最長で18か月。そして、子育ては2 - 3年続く。マッコウクジラの家族は、母系家族でメスが中心となる。しかし、雌の性的成熟年齢は地域によって大きく異なり、雌のマッコウクジラの繁殖能力は10 - 14歳から徐々に減少し、40歳以降には急激に減少するとみられる。雌は約25 - 45歳で完全に成長する[68][42]。オスは単独行動、もしくは若い雄同士が小さな群れを作る。オスの繁殖適齢期は9歳ごろから21歳ごろまでの約10年間続き、40歳を超えても成長は止まらず、約50 - 60歳で最大に達する[68][42]。また、出産は5年に一度しか行わない。最長寿を全うしたマッコウクジラは77 - 80歳だった[69][68]。
雄は一体で複数の雌を獲得するハーレムによって子孫を残す性質で、複数の雌と交尾した後には子育てには参加しない。
天敵

人間のほかにはシャチが天敵であり[70]、幼獣だけでなく成体もシャチの群れに襲われ殺されることがある[71]。
しかし、成獣は通常は1頭だけでもシャチの集団にとって手強く、シャチがオスの成体を実際に仕留めた記録は存在しない[72]。また、日本列島の沖合で、シャチの群れに襲われた雌と子供から成る群れを、どこからともなく現れた未成熟の雄が救援し、シャチたちを攪乱してからその群れを率いて脱出する光景も観察されている[73]。
メスと子供の群れによる天敵(シャチなど)への対策として、花形の円陣(マーガレット・フォーメーション)を組んで、陣形の中心に保護対象とする個体を設置し、武器である尾びれを外部(敵)に向ける。この行動は天敵がいない状況でも見られる場合がある。なお、これは本種以外ではミナミセミクジラでも確認されたことがある[59]。しかし、脅威に対して円陣を作るという習性が捕鯨時代の捕殺を加速させる要因の一つになった[63]。
2024年には、西オーストラリア沖でシャチの群れに対抗する防衛手段の一つとして意図的に排泄して糞を周囲に散布する行動がみられたが、これは近縁系統であるコマッコウやオガワコマッコウによく知られてきた行動である[74]。
群れを守るために捕鯨船(大型帆船)を成熟雄が攻撃して沈没させた例も存在する。エセックス号(英語版)とその乗組員の事例は「悲惨な漂流サバイバルの例」として知られ、モカ・ディックと共に、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』のモデルにもなっている。近代でも捕鯨のキャッチャーボートが破損させられた例が数度記録されており、1937年(昭和12年)2月17日には、共同漁業の第三捕鯨丸(102トン)がマッコウクジラから尾を叩きつけられ浸水。沈没寸前に追いやられた例もある[75]。
人間との関係

著名な個体の例として、『白鯨』の執筆に影響を与えた「モカ・ディック」や、2023年に大阪湾の周辺に出現し、死亡後に漂着して淀川に因んで命名された「淀ちゃん」などが存在する。
なお、本種の歯はこれまでは象牙の代用として取引されてきたが、2025年にイギリスの「象牙法」の対象生物リストの拡大が決定され、本種を含めた代用種(マッコウクジラ、イッカク、シャチ、カバ)の歯も規制対象に指定される事となった[76]。
ホエールウォッチング


19世紀以降には苛烈な捕鯨の結果として人間や船舶などを避けるようになった傾向が強まった可能性があるが、商業捕鯨の終了した現代ではホエールウォッチングが世界中で盛んになり、比較的個体数の多い本種も観察の対象とされる[10][63]。
特にカイコウラやドミニカ国などの様々な地域がマッコウクジラを対象としたホエールウォッチングで発展してきた。また、一部の地域(ドミニカ国や奄美諸島など)ではマッコウクジラと一緒に泳ぐツアーが行われるようになった[10][63][77]。
日本列島の沿岸部では、(散発的に偶然目撃される事例を除くと)知床半島(羅臼町側)[33]、房総半島(銚子市や千倉町)[18][20]、伊東市[78]、小笠原諸島[22]、那智勝浦町および串本町(熊野灘)[30][31]、土佐湾とくに室戸岬[32]、五島列島・福江島、奄美大島[23][77]、粟国島[25]で本種を対象または試験的な対象としたホエールウォッチングやホエールスイミングが行われてきた。
船舶との衝突
マッコウクジラと衝突した場合、大型船は船体を破損させることはないが、ヨットや木造船であった場合には多大な損傷を被ることが予想される。辛坊治郎の操るヨットが、金華山の約1,200キロメートル沖合にてマッコウクジラと衝突して沈没した事件は注目を集めた。
また、相模湾および伊豆大島[19][21][79]、壱岐および対馬市の周辺、大隅海峡・種子島・屋久島など、本種と高速船の衝突の危険性がある海域も散見される[14]。
文化的側面

マッコウクジラを題材としたり、作中にマッコウクジラが登場する創作物は『海底二万里』など多数が存在し、ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』とそこに登場する個体「モビー・ディック」が世界的に著名である。また、マッコウクジラは白鯨や通常色の個体を問わず、多くの娯楽作品(映画、漫画、アニメ、ゲーム等)に登場しており、『白鯨』の二次創作的な作品も多数存在する。
また、3000系電車など、マッコウクジラに由来した愛称が付けられる事象も点在する。
捕鯨

鯨蝋は高級蝋燭や石鹸の原料、灯油、機械油として利用された。特に精密機械の潤滑油としては代替品が無く、1970年代まで需要があった。かつてはこの鯨蝋を目的に大量のマッコウクジラが乱獲された。特に米国では18世紀から19世紀にかけて盛んにマッコウクジラを捕獲した。米国が日本に開国を迫った理由の一つに捕鯨船の中継基地の設置が挙げられるが、アメリカ大陸近海のマッコウクジラを捕り尽くし、日本列島に近い西太平洋地域に同じマッコウクジラの大規模な群れがあるのを発見してのことである。今でも同海域には数万頭のマッコウクジラがいるといわれる。
1910年代以降の北西太平洋における乱獲は日本とソビエト連邦が主体になって行われていた。日本国内では不正捕獲や密猟が横行していた可能性が指摘されている[12]。
なお、前述の鮎川の捕鯨においても余剰鯨肉が捨てられており、後に鯨肥に活用するようになった。
食用
油抜きをしないで大量に食べると下痢をする恐れがあり、アメリカ人捕鯨船員の鯨肉には毒があるという迷信があった。肉は捨てられたというのは、この様に食用に不向きであった点もある。また、このマッコウクジラを最高の目標としたアメリカ式捕鯨の時代において、冷蔵技術もない当時、3年以上が標準であった捕鯨航海の間、肉を商品価値のある状態で保管するのは不可能であった。
食料として見た場合、マッコウクジラの体内に含まれる微量の水銀に注意する必要がある。厚生労働省は、マッコウクジラを妊婦が摂食量を注意すべき魚介類の一つとして挙げており、2005年11月2日の発表では、1回に食べる量を約80グラムとした場合、マッコウクジラの摂食は週に1回まで(1週間当たり80グラム程度)を目安としている[80]。
マッコウクジラは肉にも蝋を含むため、食用の際に油抜きをする。日本では主に大和煮に用いられたり、大阪では油抜きをした皮(コロ)をおでん(関東煮)として食べるのが一般的である[81]。和歌山県田辺市鮎川やインドネシア・小スンダ列島のロンブレン(レンバタ)島では干物にする[82]。
脚注
注釈
- ↑ 知床半島、相模湾、駿河湾、熊野灘、五島列島、男女群島、台湾の東海岸、南シナ海など重要な生息圏が多数欠落している。
- ↑ 「physētēr(ピュセーテール)」。 アリストテレスが著書『動物誌』において用いた用語で、本来は「ふいご」を意味する言葉であった。
- ↑ 音声資料:- howjsay.com:当該文字にカーソルを合わせれば繰り返し聴取可能。
- ↑ 「makros」、「長い、大きい」の意。
- ↑ 「kephalē」、「頭」の意。
- ↑ イカの触腕などの吸盤には硬いノコギリ状の歯が付いており、マッコウクジラは獲物として捕らえながらもこのような傷を負う。
- ↑ ニュウドウイカ、アカイカ、ヒロビレイカ、ツメイカ、ウロコイカ、サメハダホウズキイカ、テカギイカ、ダイオウイカなどが代表的な種である。(『マッコウクジラの自然誌』加藤秀弘 平凡社 1995年 ISBN 4582527205 246頁)ダイオウイカ属のイカはマッコウクジラにとって重要な餌である(250頁)、もっとも北半球から南半球まで幅広く分布する本種において、生息海域でその内訳は大幅に異なる点には留意したい。
出典
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